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劇作家モスクワカヌ、自分の生存戦略のために脚本を書いてみるプロジェクト その2

皆様こんにちは。モスクワカヌです。
前回記事に書いた、自分の生存戦略のための脚本をリアルに書いてみるプロジェクト。
(前回の記事その1はこちらから)

おかげさまで色々な方に拡散して頂けまして、連絡なども頂けたりなんだり。気にかけてくれる方々に圧倒的感謝です

さて、自分の生存戦略について、今絶賛本気出して考え中の私。かの伝説のお菓子「ねるねるね~るね」くらい戦略を練ってはいるのですが、あらためて自身を棚卸ししてみると、今この状況で私に出来ることがすごい少ない…。
就業先は接客業なうえ濃厚接触せずにはいられない仕事なので、そこで得た技術は生かせないし、人前で話すの苦手だからワークショップとかも出来ないし、フードファイターになるには食べるのに時間がかかりすぎる…。

劇作は家から一歩も出ずに書けるという強みがありますが、いかんせん戯曲だけでは演劇は成立しません。
スタッフ、出演者、そしてお客様があってこその舞台。人と人とが密に集まることが危険なご時世、はたして劇作というスキルはどこまで生存に有効なのか。

が、こんな時でも、いえこんな時だからこそ、今盛んな演劇もありますね。
映像配信やZOOM演劇。
もちろん私も考えました。

ところで私今、友人とハウスシェアしていて、まあ2人とも劇作家であるわけなんですが、
家に劇作家しかいないと演劇の映像配信とか全然できない。

もちろん一口に劇作家といっても色んなタイプの方がいるわけで、作、演出、出演までこなしてしまうマルチな方なら話は別なのでしょうが、私も、同居人も、全然マルチじゃない地味なタイプ…。

「そろそろユーチューバーになるしかない」
「私達も演劇の映像配信とかやるしかない」

みたいな話題はでるのですが、もうね、重い腰が全然あがらないわけです。

それに、仮に演出や出演が出来たとしても、映像配信をするには他にも様々な準備がいるわけで。
そもそもスマホ以外のカメラもないし、映像編集のスキルもないし、外注するには経済が心もとないし、ハードルがけっこう高い。

つくづく、今の段階で舞台の映像配信であるとか、映像配信用に演劇の新作を作っている方々はすごいなあ…と思います。動きだしの早い方々は、すでにクラウドファンディングや映像配信等、演劇や、劇場や、自分達の団体や作品のために色々なことを始めていて、自分は初動が遅かった分、その差を埋める努力ができればよいのですが…

今から映像配信について勉強して…仲間を集めて…編集作業とかをなるべく自分で…って無理。
想像するだけでへこたれてしまうわ

そもそもこのプロジェクト、「死ぬ気で頑張らずにサバイバリたい」という思いが出発点。

今…私わりと自分の生存で精一杯で…これ以上あんまりスキルアップのための努力とか根性とかだせない感じ…生きるのに精一杯で…生き残りのために死ぬほど頑張るとか…できる気がしない。

ちなみに、映像配信のためのスキル習得や、ZOOM演劇のための人集め予算集め諸々を死ぬほどの頑張りとか大げさ、と思ったそこのあなた。
あなたはまだ私のことを甘く見ていますね
あなたは自分がクビになったバイトの数を覚えているのですか(血の涙)

前回の記事にも書きましたが、自分の生存のための脚本。主演が私という時点で、出来ることなんてたかが知れてるわけなんですよ。脚本家モスクワカヌとして、主演モスクワカヌに難しいことはさせられないんですよ。稽古時間とかとれないんですよ。
今現在の主演のスキルで、へたらず、降板せず、楽しくできる脚本を書かなきゃいけないんですよ。
無理ゲーか。

でもね、ふと、思うのです。
へたれているのは、映像編集のスキルがないのは、スマホのカメラしかないのは、私だけだろうか

私が家で1人で(正確には同居人がいますが)
カメラがねえ スキルがねえ 外注するにも金がねえ

となってるみたいに、

いるんじゃない

家で1人で、
舞台がねえ 戯曲もねえ スマホ以外にカメラがねえ

となってる誰かが。

出来ないだろうか、出来たらいいんじゃないだろうか。
家で1人でいても、スマホ以外のカメラがなくても、そもそも映像編集的なスキルがそんなになくても…演劇が。

こんなことも、全部1人で思いついたわけではなくて。
私の周りにいて、私を気にかけてくれたり、時間を割いてくれたり、意見をくれたりする方々のおかげであるのですが。

自分、書けるかもしれません。
私の、私による、私のための、私むけの生存戦略。

というわけで、次回あたりに構想をまとめてシェア出来ればと思ってます。

やるぞ

生存戦略


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2020-05-03 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

劇作家モスクワカヌ、自分の生存戦略のために脚本を書いてみるプロジェクト その1

皆様こんにちは。
緊急事態宣言により職場が閉鎖されてから一か月。
舞台やイベントの予定もことごとく延期となり、無職というステータス異常中のモスクワカヌです。

世界中が未曽有の災害対策に追われているなか、皆様ご存知のとおり、演劇や音楽等を含むアートイベント業界はじめ、日本中で様々な業種と個人が苦境に立たされていますが、かくいう私も、例にもれず崖っぷち。
自粛から一か月、そろそろ感染症で死ぬか、経済的に死ぬかの、嫌すぎるチキンレースの入り口が見えてきました。
エンジンあたたまってますよ…ふかしちゃってますよ…

思い返せばこれまでも散々、
引っ越し先の国が崩壊したり、
内戦に巻き込まれたり、
バスとぶつかったり、
サバイバーだったり、
借金3ケタ作ったり、
一か月一万円生活したり、
死にかけた経験にことかかない私ですが、

もはやDEAD or LIVE じゃないですよ。

DEAD or DEAD ですよ。
ひどくない

住宅確保給付金は対象にならないし、確定申告はだした書類が帰ってきちゃうし、一律10万円給付はいつになるかわからないし…。
もうこれ闇落ちしてジョーカー(ホアキン・フェニックス版)になるしかなくね、という気持ちで近所の階段で踊ったらフジコ・ヘミングになるし…。



救われね~
でも救われたい~
闇落ちせずに給付金を受け取るまで生き延びたいよ~

自分ぜんぜん偉くもないし、お金持ちでもないし、社会的地位もないし、政治家の友達もいないし、生きててすごい大したことをしたとか、する予定とかも全然ないし、なんならすぐ心身の健康を損なう弱い個体だけれど、それはそれとして生きてはいたい。
誰にもないがしろにされる謂れのないこの気持ち。
それも出来る限り健康を損なわず、多額の借金も背負わず、自由や自己を極端に制限されずにサバイバりたい。

それというのも私には、助かってほしい業界とその営み、劇場や美術館、お店とかがたくさんあるし、助かってほしい人が大勢いるんですよ。

で、今それぞれが政府に要望をだしたり、クラウドファンディングや寄付をつのったり、営業の仕方を工夫したり、色んなやり方で頑張っていて、私もささやかながら、その生存の手助けをしたいと思う。

だがしかし、まずは自分がある程度救われていなければ、助かってほしいモノや人にささやかな助力すら出来ないんですよね。全ては自分の健やかな生存ありき。

私もね、立ち上げねば。

プロジェクトXならぬ、プロジェクトWakanuを。

私の、私による、私のための自分救済プロジェクトを…

そう。私は劇作家。
これまでは劇場で上演されるための芝居の脚本を主に書いてきましたが、現実がSFか不条理、はたまたダークファンタジーになりつつある今、リアルに自分の生存戦略の脚本を書くべき時ではないのか。

書きた~い
それも主演が自分なのでなるべくゆるく楽しくシンドくない脚本にした~い

というわけで、モスクワカヌがゆるく、楽しく、自分を救いたいプロジェクト。
書いていきたいと思ってます

なんていうか、作演出主演モスクワカヌみたいな、自分で書いてて不安しかない公演みたいな企画ですが、なんか思いつきましたら順次発信、シェアしていくので、観客になってもらえたら幸いだなって思います。

書くぞ
生存戦略


2020-04-30 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

本日初日!『うさぎひとり』でワカヌひとり。アフタートークゲストやります!

皆様こんにちは。
本日、西荻窪の「遊空間がさぴぃ」という劇場で19時に初日をむかえる舞台『うさぎひとり』でアフタートークゲストをします、モスクワカヌです。

さてその『うさぎひとり』ですが、公式にある物語のあらすじは以下のとおり。

あらすじ
―どうやって感じればみんなにほめられるんだろう。
真のマスターベーションを探求するために語り合う37歳の私と12歳の私。

37歳の幹子は自分に自信がないゆえに初めてできた恋人ともうまく関われない。自信が持てないのはひとりでするときの妄想が変だから?
幹子は性欲を持ち始めた過去の自分、「12歳の幹子」と語りながら、マスターベーションを探求しようと決意する。
果たして幹子は真実のマスターベーションを見つけることができるのか?

あらすじから予想するに、恋、そして性がテーマと密接に絡んでくると思われます。

ところで、『うさぎひとり』の舞台を演出している坂本鈴さんは、私もメンバーであるユニット劇作家女子会。のリーダーであり、エロPOPを掲げている劇団だるめしあんの主宰でもあります。

その鈴さんがよくぼやいているのが「劇作家女子会。では恋バナができない!」ということ。
まあ、気持ちはわかります。
劇作家女子会。の黒幕ことオノマリコに恋愛相談をすれば「恋愛で悩むのはヒマなんだよ、仕事しなよ」と言われ、人妻の黒川陽子には「スタンダールの恋愛論をひも解くのはどうでしょう?」と言われ。

4人で集まっても、まあ、恋バナにならない劇作家女子会。
うちら大体一緒の現場がないときは最近の締め切りについて話してるから!

その、恋バナができない劇作家女子会。メンバーのなかでも、おそらくトップレベルで恋バナから遠い私が、私一人がアフタートークゲスト。うさぎひとりで、ワカヌひとり。

大丈夫かっ。

ほら、昨今「草食系」とかよく言われるじゃないですか。ちょっと昔だと「干物女」とかあったじゃないですか。
恋愛に対して積極的ではない男女を、時にやんわり揶揄し、時に生温かい目線で見つめ、時に時代のトレンドへと押し上げるそれらのワードの数々。
恋バナから遠いということは、モスクワカヌは草食系もとい干物女なのか? と思われるかもしれません。

いいえ、違います。

草食だの干物だの、私にはまだまだ言葉が役不足。甘いんですよ、ワードとしてのパワーが。
恋愛…その全人類の秘境、魔境、ユートピア。いくたの達人が、遊び人が、旅人が、迷い人が、うごめきさまようそのフィールドにおいて、私はそう…「断食系」!

もうね、草も生えないから。カスミ食って生きてるから。
「恋? なにそれ美味しいの?」って出来るから。
一周まわって恋愛仙人かもしれないから。
なんでも聞いて!
なんにも答えられないよ!

一人きりでのアフタートークゲストで、舞台がよりによって私が仙人のジャンル…。(まだ観てないし脚本も読んでいないので、あくまであらすじを読んでの憶測ですが)

軽い気持ちで「やるやる~♪」なんて言いましたが、不安でいっぱいです。ちゃんと語れるのでしょうか、私。

食べたことないものを食レポするみたいにならない?
食べログで違反になるやつじゃない?
舞台が星5つでも私の食べログがまずかったらどうしよう?

ここまで書いてハッと気づいたのですが、恋愛に積極的な人は肉食系で、恋愛に縁遠い人は干物、草食系。

つまり食レポ的に言えば、恋愛とは、ジューシィなお肉と同義なのでは…?

それなら、それならば、私にも語れる気がします。アフタートーク。

一人焼き肉を超え、一人焼き肉食べ放題もできる私に怖いものなど何もない。

皆、肉焼いて食おうぜ!

本日ご来場のお客様方。スタッフキャストの皆様、どうぞよろしくお願いいたします

しろうさぎの会
『うざぎひとり』
作:大西伸子
演出:坂本鈴(劇団だるめしあん)

あらすじ
―どうやって感じればみんなにほめられるんだろう。
真のマスターベーションを探求するために語り合う37歳の私と12歳の私。

37歳の幹子は自分に自信がないゆえに初めてできた恋人ともうまく関われない。自信が持てないのはひとりでするときの妄想が変だから?
幹子は性欲を持ち始めた過去の自分、「12歳の幹子」と語りながら、マスターベーションを探求しようと決意する。
果たして幹子は真実のマスターベーションを見つけることができるのか?

会場:
遊空間がざびぃ(西荻窪から徒歩8分)

日時: 11月9日(金)~11日(日)
9日(金)19時
10日(土)14時/19時
11日(日)14時

アフタートークゲスト:
9日(金)19時 : モスクワカヌ(劇作家女子会。/劇団劇作家) 
10日(土)14時/19時 : 各回後に出演者によるトーク
11日(日)14時 : 「真実の性の語り部」夏目祭子さん

チケット
一般 2500円
学生 2000円
占いチケット 3000円(簡単メール占い付き公演チケット)

チケット予約はこちら→ https://www.quartet-online.net/ticket/usagihitori

キャスト
中谷弥生
松尾音音
塚越光(INNERSPACE)
清水泰子
由川悠紀子(おちないリンゴ)
池田久美

スタッフ
舞台監督・照明 黒太剛亮(黒猿)
音響 小林遥
制作・宣伝美術 月館森(露と枕)
セノグラファー ゆうきまお
ロゴデザイン カズヘイ
アドバイザー 中村 奏太(無隣館・アルココチ)

ステージナタリーさんにも公演情報を取り上げてもらっております。↓
https://natalie.mu/stage/news/306688

ちなみに初日のアフタートークには、劇作家女子会。のモスクワカヌも参加いたします。
坂本鈴さんにしょっちゅう「恋バナができない!」と嘆かれている劇作家女子会。その女子会。のなかでも、作風的にも個人的にも、もっとも「エロ」と縁遠いモスクワカヌが、はたして何をトークするのか。自分のことながら、ちょっとドキドキしています。ちゃんと話せるのだろうか…。
なんにせよ、楽しみです。

(モスクワカヌ)









2018-11-09 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

わたしの「NO!」のかたち。 後編 ー一緒に頑張ろう!という人はだいたい相手にだけ頑張らせるー

人と人とがお互いを知り合っていく時に必要な時間やプロセス。
それが、片方が子供だったり障害があったりマイノリティだったり、要するに「弱者」とレッテルが張られた相手だった時に、当然のように無視されてしまうことがある。

たとえば私の経験では、障害があるとわかると、突然自分にメリットがない相手として扱いを粗雑にしてくる人もいれば、逆にいきなり距離をつめてくる人、対応が猫なで声になる人たちがいる。そういう人たちは大体
「私はあなたを理解できます。一緒に頑張りましょう!」的なことを言う。
で、そういう人たちが何をしてくれるのかと言えば、
「私にも〇〇がある、皆それぞれ辛い。一緒にがんばろう!」というだけだ。

例えば、私は週に5日、1日8時間でコンスタントに働くことができない。身体にも精神にも体力がなく、他人と一緒に過ごすだけでかなりストレスを感じて消耗するので、週に5日、1日8時間の労働を続けると、最終的には職場を休みがちになったり病んでしまう。
だけど今の社会では、週に5日1日8時間労働が苦にならない人がスタンダードで、大きな組織の仕組みはそういう人たちにあわせて作られている。あらかじめシフト自由の職場を選んでも、有形無形の圧力で週5で1日8時間の労働を求められたりする。
スタンダードな仕組みで動ける人たちは、そのスタンダードにあわせて上手くできない性質の人間に例えばこんなことを言うのだ。

「体力がもたない? お休みの日にマラソンして筋肉つけよ!」
「精神的につらい? みんな同じだよ! いつでも話きくから!」

…いやでもさ、あなたはマラソンなんかしなくても週5で8時間働けて、それを休まず病まずに何か月だって続けられるんでしょう?
どうして私が、お休みの日にマラソンして、頑張って頑張って息を切らしながらそちら側にあわせることが前提なの?
「一緒に頑張ろう」っていうあなたが実際にしていることは、私だけに頑張らせようって、そういうことじゃないか。

ちなみにマラソンはしたよ。やったよ! 皆と同じようにできなきゃって必死な時期が私にもあったから。
でも体力つく前に体をこわしたんだよ!

誰にだってそれぞれ辛いことがあるのは知ってる。障害がなくても、すごいお金持ちでも、はた目からは何不自由なく見える人のなかにだってその人だけの地獄はある。だけど「皆大変なんだから」っていう人は、私の大変さのことは往々にして無視をするのに理解者ぶる。
そういう人たちの「私は弱者を理解してます」というパフォーマンスの材料にされるのは、ものすごく腹ただしい。しかも相手は善意のつもりだから、私が傷ついたり怒ったりするとこちらが悪者にされる。

マジョリティの善意を受け取れないマイノリティは嫌われて、施されるもので満足し感謝するマイノリティは「名誉マジョリティ」になって、「施されるものだけじゃなく、皆が当たり前に持っているものを私もほしい」というマイノリティの口を塞ぐ。どこの世界にもよくある構図だと思うけど、地獄だよなあと思う。

こういうことは嫌われる内容だとわかっているし、こう書いていると私が弱者への差別とか搾取にとても敏感で、日々そういった理不尽と戦っているような印象を与えるかもしれないけれど、全然そんなことはない。

若い頃はともかく、今はある程度自分で自分の属するコミュニティを選べるので、私はほとんどの日々を、自分の障害をことさら意識せずに平穏に暮らせる場所で過ごしている。難しいことや、出来なくて悲しいこともあるけれどおおむね幸せで、その一番大きな理由は、私の周りの人たちが私をフェアに扱ってくれるからだ。
障害を理由に差別や酷い扱いをされた経験だけなら、私はまだ全然守られていて、ライトな部類だろうとも思う。

だから施設でパニックを起こしたことを、「過剰反応」だと自分で片付けることもできるのだけれど、今回の件に関しては、私はそうしたくないのである。
あのパニックを「過剰反応」だとして、小さくしてしまいたくない。

だって、当たり前の権利や自由をごく当然のように無視される、奪われるのって、自分の生存を危うくする問題だ。
とても簡単に書けば、あの時私は「これを受け入れたら殺される!」と直感した。
大げさと思われるだろうけど、私の実感としては嘘偽りがない。

あの時あの場という限定では、無視されたのは施設の利用者さんとツアー参加者数人の権利や自由だった。
だけどそれは、普段の私の権利や自由でもあって、それが無視されたこと、それが当然になっていることに、ものすごく怖くなった。

だいたい、その施設の利用者さんは知的障害の方が多く、言語でのコミュニケーションが難しい場合が多い。健常者の感覚で会話のキャッチボールができる人のほうが少数派で、多くの人は口をきかなかったり、声をあげたり、アクションや楽器を鳴らしたりすることで自分を表現している。施設に1時間いて利用者さんを見ていれば、そのことに気づきそうなのに、「お話してください」と簡単に言われたことも「この人たち、利用者さんを見てないな」という不信感につながった。

人間同士が知り合っていく自然なプロセスを無視され、交流を求められたことに欺瞞を感じた。
「私達、共に生きています」的なパフォーマンス、嘘の材料にされると感づいた。
その嘘は、私がこれまで色んな人につかれて傷ついてきた嘘だった。
その嘘の被害にあってきた自分が、この施設では健常者のツアー参加者という側に立って加害する側に転じることを求められている。
全然納得がいかないし、応じられないと思った。
だけど、応じられない自分がこの場では我儘なのかとも考えた。
その時すぐに「自分が何を感じて何を思っているか」を言語化することが出来ず、「すごく嫌だ」ということだけが分った。
言語化できない=得体のしれない脅威に迫られているという感覚が高まり、パニックを起こした。

ここまでのことを整理して、自分に落とし込むまでにとても時間がかかったし、理想を言えば、私はあの時これらのことを言語化して相手に伝えられればよかったと思う。そこからもしかしたら建設的な話し合いがされたかもしれなかったし、そこですぐに理解し合えることはなくても、自分の思うところを伝えられればよかった。
それが出来なかった自分が歯がゆいし、結果的に「私はあなたに傷つけられた!」みたいなことだけ相手に伝わってしまったのは自分が卑怯にも思えたし、申し訳ないとも思う。

ただ、パニック状態の人は、はた目から見ると意味不明で怖いかもしれないけれど、けしてやみくもに倒れたり奇声をあげたりしているのではないし、周囲を傷つけるためにしているのではない。パニックでしか表現できない「その人に起きていること」があるのは知ってほしい。

そして、うまくコミュニケーションがとれないからといって感じる心や考える頭がないわけではないと思う。

私のことを理解してほしい、という気持ちはあまりない。
だけど、私も、あなたも、マジョリティもマイノリティも、あらゆる人がこの世界では同じ地平で生きている。自分とは世界が違うように見える人だって、立っている場所は地続きの場所だ。

見えにくいかもしれないけれど、別に見なくてもよかったのかもしれないけれど、仲良くなれなくても、分かり合うことができなくても、現実として私達は、お互い様に、共に生きている。

だから、大勢の人が普通にもっているもの、もっていてよいものを、私達にだけないものにしてほしくない。

ないもの、にされそうになった時は、今度はしっかり、相手にも伝わるように「NO」を言えるようになりたいと、そう思う。
2018-08-29 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

わたしの「NO!」のかたち。 前編 ー「施設のかたとお話してください」-

先日、外で大きなパニックをおこした。

私がこれを書くのは、私自身の気持ちを整理すること、自分に何が起こったかを言語化して、体験を消化することが主な目的だ。
長文だし、自分の感情の手綱を、あえてあまり握らずに書いている。

パニックをおこした経緯を簡単に書くと、
1) 友人たちと、障害者の方々のための施設が実施しているツアーに泊りがけで参加する
2) 施設で過ごしている時に、その施設に取材に入っていた報道の人に「施設の方とお話してください」と言われる
3) 私、パニックを起こしてマイルドに倒れ、日帰りする

という流れである。

もう少し詳しく書こう。
ただ、迷惑をかけた施設や、パニックのきっかけになった人達やその所属については明記をさけて書く。個人を責めようという気があまりないし、そのつもりがなくても場所や人の名前をだすことで、私の意図とは違う印象づけや誤解を招きたくないと思うからだ。

その施設が主催している泊りがけの施設観光ツアーで、私達はツアー参加者という立場で施設を訪問した。
駅まで職員の方に迎えに来てもらい、施設に向かう車中でマスコミの取材が入っていることを告げられたが、それ自体は特に問題なかった。あくまで施設の取材であって私達が取材されるわけではないし、うつりこむ程度の肖像権にはこだわらないので了承した。

施設につき、スケジュールや注意事項などの説明をうけて、施設の内部を自由に歩き回る時間になる。
この施設の利用者さんは主に知的障害の人たちで、大人用のスペース、子供用のスペースに分かれて過ごしている様子を見せてもらい、お昼ご飯の時間には利用者や職員の人たちと一緒にお弁当を食べた。そこまでは何の問題もなかった。報道の人たちのカメラが私達を追うのは少し気になったけれど、その時点でその場所への居方を邪魔されたわけではなかったし、「いないと思って過ごしてください」とも言われていた。
だけど、お昼ご飯の後で報道の人に「施設の方々とお話してください」と言われた後、私はみるみる気分が悪くなってしまい、脅威にさらされている感覚が高まっていき、最終的にパニックを起こしてしまった。

時間がたった今なら、それが自分を脅かされることへの抵抗、怒りや恐怖といった感情の高まりだったと説明できるのだけれど、その時はすぐに言語化できず、奇声をあげたり過剰に防御的になるといった方法での表現になってしまった。

一緒に施設を訪れた友人たちは親しい間柄だったから、私のパニック状態をある程度理解してケアしてくれたけれど、施設の人や報道の人には、私が何を感じてそういうリアクションが起こったかわからなくて困惑させたと思う。その後、施設の職員の方とは少し話せる時間があったのだけど、報道の人に対してはこちらが一方的に「あなた達に傷つけられた!」という態度になってしまい、その後コミュニケーションを閉ざしてしまったので、その点は申し訳なく思っている。

本当は、その時その場で感じたこと考えたこと、「それは私達にも施設の利用者にも失礼ではないか」ということを冷静に伝えて話し合えれば一番良かったのだろうけれど、私は自分自身の状態を把握するのに時間がかかるタイプで、自分でも自分に何が起こっているかわからなかったし、わからないことを他者に伝えることができなかった。
だから、時間がかかっても、あの時自分がなぜパニックになったのか、何を感じたのかを、まず自分自身にちゃんと説明したくて、この文章を書いている。

「施設の方々とお話してください」
私達にそれを言った人の言った感じは軽く、にこやかで、人当たりよく、指示をだしたりしている風には見せなかった。(そもそも個人的な旅行で来ている私達に、そこでの過ごし方を他人に指示されるいわれはないのだけれど)
でもそれは実質的には、言外の意味をたっぷり含ませた要求だったと思うし、それを言われた私以外のツアー参加者も全員、その言外の意味に気づき、それに忖度することを求められていると感じとった。
その報道の人たちは、テレビ向きの「健常者と障害者が仲良く交流している図」をとるために、私達に彼らの都合よく動いてほしかったのだ。

こう書くと、報道の人たちに悪意があったように読めてしまうけれど、多分あの報道の人たちに悪気は全然ない。ただ、自分たちの撮りたい画、描いているストーリーのために人を都合よく動かそうとする自分たちへの疑いがなかったし、目の前の利用者さんも私達のことも無視していることに鈍感だったなとは思う。

私が何を無視されたと感じたか。それは
「人と人とが出会って知り合い、お互いに関心や好意をもって関わり合うためには時間が必要」
「そうしたくない時は相手と無理に親しく付き合わなくてもよい」
という、健常者同士の交流では当然のものとして認められているプロセスや自由だ。

施設の利用者さんや私達にも同じプロセスが必要であり、同じ自由があることが、あの時あの報道の人たちの念頭には全然なかったと思う。

人と人とが交流をする時には、お互いを知り合うプロセスや時間がいる。健常者同士なら、挨拶をし、当たり障りのない話題からお互いの趣味嗜好をなんとなく探り合ったり、共通の話題を見つけようとする時間とかだ。

どちらかが言葉での交流が難しい場合、そのプロセスは、たとえば出合い頭に頭突きをうけて返すことだったり、服の素材を確かめられたり、音のでる楽器を交互に鳴らすことだったりもする。普通とはちょっと違う形かもしれないけれど、そうやってお互いを探っていくのも交流であり、関りをもっていくために必要なプロセスだ。

それに、健常者同士だろうが、障害者同士だろうが、健常者と障害者だろうが、人と人には相性があり、気の合わなそうな人とは無理して交流しなくていい自由があるはずだし、よく知らない人がいきなり自分たちの輪の中にズカズカと入ってきたら、利用者さんだって嫌だろう。相手の領域に許可なく土足ではいりこまないことは常識だと思う。
それなのに、障害者と健常者となると「健常者と障害者が仲良く交流している画」という、美しいかもしれないが中身のない図のために、その自由や常識が無視されて当然みたいなのだ。

ランチまでの自由時間、私は私のペースで、施設の職員の方や利用者の人をみて、興味を示されれば応えたし、まだとっかかりのわからない人、人見知りそうな人には無理に近づかなかった。職員さんも利用者さんも,自分とはあくまで初対面の人たちだし、それぞれ仕事をしていたり何かに没頭していたりするのを無視して関りをもとうとは思わない。自分の居方が正解かどうかわからないけれど、それも含めて慎重に探っていった。
当たり前だが、到着してから1時間ちょっとで利用者さんたちとそこまで仲良くはなれないし、こちらはいってみればお客様の立場だから節度や礼儀だってあるし、宿泊の予定だったので、時間をかけてこの施設で働いたり過ごしたりしている人たちのことを知りたいと思っていた。

そのプロセスをまるっと無視され、ただ「健常者と障害者が仲良さげに交流しているテレビ向きの絵」をとるため動くように求められたことに、私は自分でも思いがけないくらいショックをうけたのである。

その理由を考えて、気が付いた。
私は、その時その施設ではツアー参加者として「健常者カテゴリー」にいたが、普段は「障害者カテゴリー」にいることも多くある。
その報道の人たちが言ってきたことは、「障害者カテゴリー」にいる時の私が体験し、傷ついたり憤ったりしてきたこと、

―障害があるとカテゴライズされ、人間同士が知り合う時にあるプロセスや自由を当然のように無視されること―

そのものだった。

(今この時点で、施設の利用者さんの輪の中にはいっていってお話するなんてこと、私にはできない。まだそこまでの関係性が育っていないし、関り方のわからない人、言語でコミュニケーションできない人だって大勢いる。私達はお互いを知り合っている途中で、まだ仲良くなっているわけじゃない。そういうことを全部無視して、利用者の人と話をしているフリを、何故しなければならないのか)

だけどそれは求められているからなのであった。
報道の人たちが、その人達がつくるテレビ番組を見る人たちが、その人たちがいる社会が、そのフリを求めているからで、私達に必要な時間や自由を無視することになんの疑問ももっていないからだった。
報道の人たちが「施設の人とお話してください」と言うのは当然のことだ。
だって誰も、健常者と障害者が「共に生きてる風」の在り方以外を見ようと思っていないから!

上記のことを、すぐに言葉には出来なかった。
けれど、私はその時それに気が付いて、大げさでなく絶望した。
報道の人たちのリクエストに応じることが、求められているその場の正しさであるのかもしれない。
だけど絶対にそんな綺麗ごとの画の一部にはなりたくなかったし、かといってその画の一部であることを拒否したら、それしか求めていない世の中に私の居場所はないのかもしれないのであった。

それでも、絶対に、嫌だ!

その時言葉にならなかった私の「NO!」は、私の血管や神経や脳のシナプスを毒のようにグルグルとまわりだし、人に通じやすい言葉というかたちではなく、パニックというかたちで表現されてしまったのだ。

(長くなったので後編へ続かせます)
2018-08-27 : 未分類 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

ものを書く縮小 劇作家のモスクワカヌです。
短編・音楽劇・ラジオドラマ・Webコラム等を書いております。 ペンネームの由来は、以前住んでいた某首都+本名。
演劇ユニット「遊戯ヱペチカトランデ」の主宰もしてますが。団体は現在お休み中です。
HP:「遊戯ヱペチカトランデ」
BLOG:「дача берёза ダーチャ・ベリョースカ」
劇団劇作家所属。劇作家女子会。メンバー
お問い合わせはyugi.mw☆gmail.com(☆を@に変えてください)にお願いします。

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Musical
Mademoiselle Guillotine
~マドモアゼル・ギロティーヌ~

strong>2013/9/5(木)~9/9(月)@日暮里d-倉庫
詳細はこちらから。

過去の公演

公演は無事終了しました。ご来場ありがとうございました。

☆作家/演出として参加。

劇作家女子会×時間堂presents
劇作家女子会!
期間:2013年6月13日(木)~16日(日)
※演劇公演です。
会場:王子小劇場
女子会縮小版 劇作家女子会!HP
劇作家女子会!BLOG
遊戯ヱペチカトランデ公演
「The Giris next Door」
~おんなの子、
藪をつつけば、蛇がでる。~


2011年12/8(木)~12/12(月)
公演の詳細はこちらから。

趣向ワカヌ公演
縲発表表縮小版

「発表~いま、ここ。~」
まだ、ゆれてる。

作/演出
オノマリコ モスクワカヌ
演目/出演
リーディング『いま、ここ』
公演の詳細はこちらから。

蜻蛉玉チラシ完成縮小
「蜻蛉玉遊戯」
2010年9/1(水)~9/5(日)
公演情報はこちらから。

☆演出助手として参加。

2013年3月23日~27日
@座・高円寺
世の中と演劇するオフィスプロジェクトM
「ハルメリ2013」
台本:黒川 陽子
演出:丸尾 聡

2011年8月27日~28日
@スペース・ゼロ
非戦を選ぶ演劇人の会
「核・ヒバク・人間」
構成台本:非戦を選ぶ演劇人の会
演出:鵜山 仁

2011年3月9日~15日
@中野テアトルBONBON
オフィスプロジェクトM
「死刑執行人~山田浅右衛門とサンソン~」
作演出:丸尾 聡

2010年12月
北京蝶々「あなたの部品 リライト」
作:大塩 哲史
演出:黒澤 世莉(時間堂)
詳細はこちらから。

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