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39歳になったので30歳の自分の誕生日の記録読み返してみたら超絶望しててウケた。  

3月13日にめでたく誕生日を迎えて、無事に39歳になった。

昔、まだ実家にいた頃、深夜のテレビか何かで舞台の放送をしていて、なんという舞台だったかタイトルは忘れたのだが、劇中で白井晃さんが「人間、30歳まで生きてみれば、あとは惰性でなんとかなる!!」と叫んでいて、正確ではないかもしれないけど、そのセリフのニュアンスだけすごく記憶に残っている。
その頃まだ10代か20代前半だった自分にとって、たまたま見ていた深夜の舞台映像のそのセリフは、支えになるというほどのものでもないけど、記憶の片隅に残り続けて「なんとかなるんじゃないかしらん」という、希望というほどのものでもない光を発しているもので。その30代も残り1年。

年をとることで、よい意味で図太くなるというか楽天的になるのと、経験値が増えて若い頃より日常に読める展開が増えてきたりすることで楽になった部分も確かにありつつ、やっぱり生きることは惰性ではなくて、わりと日々サバイブであるなぁと思っている。
余談ですが、おかげで今も、すっかり偉くなられた白井晃さんを雑誌やwebで見かけるたびに「あとは惰性でなんとかなる!」というセリフを思いだして勝手に励まされてしまいます。

ふと、30歳になる頃の自分は誕生日に何を思っていたのかな? とふと思いついて、昔の手帳を見返してみたら、めちゃくちゃ絶望しててウケた。
「30歳になってしまったのに、貯金も恋人も定職も何もない」とか嘆いてて、

うん、ごめん。それ39歳の今もいっしょ!!!!!

と、申し訳なさすぎて爆笑である。

「大学を卒業した頃は、30歳になるまでには何者かになっているつもりだったのに」
「今までしてきたことを無駄とは思わないけれど、それが何だったのか答えをだせなくて苦しい」

とか、若いな…人生の答え合わせがすぐにでると思っているな…と感慨深い。
人生の答え合わせって小テストですら10年単位で、下手したら死ぬまで答えが出ない問いもたくさんあるんだぞ、自分よ。
この日の私は絶望しすぎていて、なんと誕生日ケーキも食べなかったらしい。
その「ケーキも食べれなかった」と恨みがましく書き残してるのが私らしいと言えばそうだけど…!

と、わりとニヤニヤしつつ30歳の自分のバースデーを読み返してみたわけですが、でも、9年の歳月を隔ててわりと俯瞰していても、この頃のキリキリひんやりした絶望と恐怖の感触は、いまでもすぐに思いだせる。

「世間が、30までにこれだけやっとけとか、これだけもっとけとか、そういう持ち物をほとんど持っていない自分が頼りない」

この日、まだ一人で住んでいたアパートの部屋の窓から見えた空が薄曇りで灰色だったこと。
冷たい風が強く吹く日で、景色もなんだから白茶けて見えて、自分のこれからの人生がすごくつまらない、30になるまでに何者かになることに失敗した人間の消化試合のようなものでしかないんじゃないか、という想像に震えていた。
結論から言えば、自分の30代はおおむね、30歳の誕生日を迎えていた自分が悲観するほどのものじゃなかった。
虹から薔薇が降り注ぎ、鳥は歌い小川はながれ、ケンタウルスが琴を弾く的なあれでは全然なかったけれど、あの日想像したような、吹きっさらしの荒れ地と曇り空が延々と続くみたいなものでも全然なかった。

相変わらず貯金も恋人もないし定職も微妙だし、何者でもないし人生に答えなんかだせてないし、持ち物とかも30歳の頃と比べてすごく増えたわけでもないけれど、そういうところでジタバタ苦しむことからは、だいぶ楽になったと思う。
私が悟ったとかいう訳ではないので、ただただ時間が経って色んなところがくたびれて、絶望への集中力がもたなくなって、多くを望まなくなっただけかもしれない。昔の私なら堕落だと思って嫌悪したかもしれないけれど、今の自分は全然OKだ。
堕落もせず惰性で生きもしないなんて、自分がそんなに大したものか、ということが、ストンと腑に落ちる。
生きているのは楽じゃないけれど、生き延びているだけで楽になることもあった。

だから、もっと年をとったら、もっと楽になって、いいこともあって、運が良ければ死ぬときに「色々あったけど悪くなかった」と思えるかもしれない。

それは希望というほどのものじゃないけど、空々しいものでもない。
現実的な支えではないけれど、まったく絵空事というわけでもない。
それに今回は、誰かの書いた、誰かの言ったセリフではなく、自分で書いて、自分に言えるセリフだ。
おめでとう私。
少なくとも、9年前よりはいいセリフ書けるようになったと思うよ。

P.S
今年はこっそり欲しいものリスト公開してみました。
ほとんど食べ物とかですが…!よかったら是非食べ物でお祝いしてください

欲しいものリスト
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category: 日々

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誕生月によせて  

今日から3月、誕生月。
気づけば40年近く生きてこられて、なんやかやありがたい。
自分が10代とか20代の時に想像していたアラフォーでは全然ないけれど、「何かで成功しなくちゃ」「何かで人に認められなくちゃ」幸せな大人になれないと思い込んで焦ったり心配していた若かりし日の自分に、「まあ、そんなに思いつめなくても大丈夫だよ」と言ってあげたい。

相変わらず体は弱いし心も不安定だし幻聴あるし病院通いだし、年をとって純粋に体力おちてキツイとか疲れ目がひどくて太りやすくなったとかあるし、ニューズウィークの表紙を飾ることもないし、世の中が私を分類したい時に張るラベルは「成功した大人」「一般的な成人」とかでなくて多分「精神疾患もちの発達障碍者」とかになるんだろうけれど、それでもわりと幸せだよ。

そう言っても、20代の頃の自分は納得しないんだろうな、と思うけれど、というか40代の自分を泣いて怒る20代の自分が容易に想像できるので気張っていた過去の自分には申し訳ないのだけど、そう言えるアラフォーの今の自分のことはやっぱりそう悪く思えないので、「まあ、想像したり夢見たこととはだいぶ違う未来だが、わりと大丈夫だ」と言うしかない。

20代の自分には想像しづらいと思うけれど、本当に悪くないぜ、あなたの人生は。
悪くなく思えるように私も頑張ったし、周りにも助けられたし、運もよかったんだよ。
困難も多いし、足りないものも多いし、トモダチが変わらず常に共にあったとしても、生きている1日1日を悪くないようには出来るから、その点は自分を信頼してほしい。

過去の自分と今の自分と、いつかこの記事を読み返すかもしれない未来の自分のために、見失いがちなことを書いておく。
人生が、私にとって贈り物のつまった箱のようなギフトではなくても、空のトランクの中に好きな時間やものを増やしていく自由にはひらかれているのだから。

category: 日々

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※この元高校4年生はフィクションではありません  

先日、某大学の入学式に保護者枠で参加してまいりました。
新入生となるのは、高校演劇マルシェで上演した『※この高校4年生はフィクションです』に出演してくれていた、元高校4年生のCさん。

高校6年生になって、高校を退学して、高卒認定試験を受けて合格して、高卒認定で受験できる大学を自分で調べて受験して、この春めでたく大学生となりました。

学校関連の改まった式なんて、大学の卒業式以来なので、実に十数年ぶりの参加です。
気分は戦場へでる兵士なので、当日は祖母と母から借りたスーツでキメて行き、盾になる化粧とヘアスタイルもバッチリで、戦闘力をあげて行ってまいりました。

Cさんと待ち合わせし、いざ入学式へ向かいます。

今年度の新入生だけで数千名いるという某大学。
驚いたのは、入学式を大学の講堂などではなく、外部のホールを借りて実施すること。
そして駅から式のあるホールまでのルートを、すごく細かく大学側に指定されること。どうやら新入生を狙った怪しげなセミナーや宗教勧誘をかわす目的があるようです。

巨大なホールの前で開場を待つ間、花束が飾られ、「新生活応援!」的なメッセージが書かれたプレートのある撮影スポットには、新入生と保護者の長蛇の列。

私「私達も並ぶ?」
新入生「いや、いいです…」

屈託のない、紆余曲折のなさそうな、多分高校に3年間しか通っていない新入生とその保護者達。
彼らの列を見つめる横顔が、ちょっと白いCさん。

そうだね、貴方はこの微笑ましさや、幸せそうな親子や、浪人も中退も不登校もなしで進学するのが「普通」とされる世の中や学校の仕組みから、遠く離れた場所からここに来た。

私「じゃあ写真は後でどっかで撮ろうか」

ということで会場へ。感染症対策のために、新入生と保護者は別々のエスカレーターに誘導…のはずが、到着した先で普通に合流してしまう私達。

Cさん「感染症対策とは?」
私「ウケる」

入学式、久しぶりだったから始まる前はワクワクしてたけれど、式典とは退屈なものだとスタート5分で思い出す、完膚なきまでの退屈さ。

壇上に出てきて話をする人はことごとくスピーチが下手で、新入生は何度も何度も起立と礼と着席をさせられ、2階の保護者席にいた私達への呼びかけは「新入生のご家族の皆様、大切なお嬢様のご入学、誠におめでとうございます。」で、新入生への呼びかけも「高校3年間を過ごした皆様…」で。
高校4年生や家族以外の保護者枠の存在は、ナチュラルに丁寧に、ないことにされていた。

私は途中で気分が悪くなったCさんが会場をでたらすぐわかるようにスマホを気にしつつ、気が付いたら席で爆睡してて、なんだか夢を見ていた。
Cさんが高校を退学する時に自ら主宰した退学式のほうが、ずっとよい式だと思った。

Cさんはとんぷくを飲んだが、最後まで入学式の会場にいて、ちょっと青くなりながら外に出てきた。
会場の外では、新入生と保護者達が写真を撮りまくっていて笑顔の群れだったけど、この高揚感の水面下に、何かをそっと沈めていたり、浮かんできそうなものを必死に抑えていたり、溺れそうな子もいるだろう。
Cさんも、ずっと少し息苦しそうにしながら、元高校4年生が存在しない(ことになっている)場所に立っていた。これからも彼女はそういう場所に立ち続けていく。自分を「なきもの」にする、元高校4年生を見ようとしない社会。

真面目で優しい人なのに、自分が選んだわけでもない環境や特性を課されて、無理解や理不尽をたくさん押し付けられて、クラスメイトや教師からさえ嫌がらせを受けて、いまだに学校嫌いで、自分がこれから通う大学のことも「カルチャーセンター」と言いなおしているCさん。

高卒認定試験を通っているのに、受験させてくれる大学さえ少なくて、「貴方を受験させたら真面目に高校に3年間通った人に対して不公平ですから」と、優しく丁寧に排されて。
途中で腐っても折れても仕方ないようなことをたくさんされてきたのに、自分が勉強したいことを見つけて、それを勉強できる大学を探して、受験して合格して。
優しく丁寧に、時に申し訳なさそうに自分を疎外し排除してきた世の中に、彼女は堂々と乗り込んでいく。

たぶん、真面目で志の高いCさんは、とんぷくを飲まないと入学式に参加できない自分のことを至らない人間だと思っているかもしれないけれど、貴方が今日この入学式に参加しているのは、本当に勇敢で尊いことだと私は思うよ。

Cさんを始め、『※この高校4年生はフィクションです。』に出演してくれていた高校生達は、もう誰も高校生じゃない。
ある子は卒業し、ある子は退学し、仕事をしたり、パートナーとの暮らしを始めたり、演劇の学校に通って卒業したりしている。
全員の人生が、いつでも順風満帆というわけにはいかないと思うけど、皆の消息がわかっていて、生きててくれているので嬉しい。

皆生きている。
未来に夢を見たり、現状に絶望したり、友達と会うことやパートナーとのデートを楽しんだり、バイト代で自分にご褒美を買ったり、自分を罰したくてたまらない気持ちの夜や、特に思い煩うことなくよい気分で目覚める朝に。
無視をされても、居場所が見えにくくても、面倒に思われて放置されても、誰も「なきもの」じゃない。

元高校4年生達はこれからも、自分達を「なきもの」にする仕組みや、悪意もなく意識もせずその仕組みに加担する人達や、その仕組みを内面化している自分に出会って、苦しい思いや悔しい思いをするだろう。
自分はここにいる、考えたり、感じたりしている、と声にだしていくことは、きっとしんどい。けれど、そうせずには生きていけない状況に何度も追い込まれて、自分で自分を「なきもの」にした方が楽だと思うこともあるかもしれない。

元高校4年生達が、自分を「なきもの」にしなくてすむ世界へ、ジリジリとでも近づいていきたい。
私1人でも、とも思うけど、その方向へ歩みを進めたい人は私1人じゃないだろう、とも思う。
その程度には世界を信頼している。思えば私も遠くへ来た。

Cさんとの記念写真は、式の後、会場から少し離れたところで、通りすがりの人にお願いして撮ってもらった。

後日、その写真を現像して、写真たてに入れて飾ってる写真をCさんが送ってくれた。
私もCさんも、会場近くにいた他の新入生や保護者の方々と同じくらい笑顔だった。




『この元・高校4年生はフィクションじゃありません。』

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2021/4/1 エイプリルフール  

エイプリルフールについた嘘は、1年間は本当のことにならないらしい。

そんな噂を聞きつけた私は、真実を求めてアマゾンの奥地に旅立つことは特になく、丸っと信じてささやかな嘘をついた。

-この前受けた人間ドックの結果、所見が「要減量」でした。-

人間ドッグは本当だが、要減量の所見は嘘である。本当に書かれていたのは脂肪肝だ。

つまりは「要減量」じゃねーか。

というセルフツッコミは胸にしまっておく。
この世には開けてはならないパンドラの箱が、ドラクエの宝箱くらいには日常に仕掛けられているのだ。

しかし実のところ、私はここ1ヶ月半ほど減量にチャレンジしている。
体調と食事の管理アプリやカロリー計算、痩せる食べ方や運動を色んな人に教えてもらいながら地道にダイエットを続けた結果、地味に体重は減っている。

昨年、緊急事態宣言中の楽しみを食に全振りした結果、一年で…キロ増えた自分の存在の重みを、体重計を見るのが耐えられるくらいの軽さにしたい。フォアグラは好きだが、自分が生けるフォアグラに甘んじるつもりはないのである。

私は今日ウソをついた。
今日ついたウソは1年は本当にならない、らしい。

そう、私は「要減量」というあれじゃない。
自ら、誰に課されたわけでもなく減量に向かい合い、自主的に前向きな減量をし続けている、「ナウ減量」なのである。

自分の存在が(数値を見るのを)耐えられる軽さになるべく、今年度も地味に奮闘予定である。



食べ物の写真は心が洗われるなあ…。

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もてない人。  

吾輩は、傘を持てない人である。

純文学っぽく始めてみたけれど、なんのことはない。
あまりに傘を失くしすぎるので、「これ、いいな!」という傘を買ってもすぐにどこかにやってしまい、気に入りの傘を長く持てない人だという、なんとも小さなことだ。

私は今まで、あらゆる傘をどっかにやってきた。
ローラアシュレイの水色に赤い花柄の傘は、お気に入りだった1本目を失くして、諦めきれず同じものをもう一回買ったのにまた失くしたし、雨の日に電車に傘を置き忘れたりするし、行きは雨だったのに帰りは晴れていたりすると、もういけない。傘は私の手から気づけば忽然と消えている。たぶん異世界転生とかしてるんじゃないかと思う。

よく揶揄される「何もしていないのにパソコンが壊れた」的な言いぐさがあるけれど、私はそういう気持ちがよくわかる。
私に言わせれば、まさに「何もしていないのに傘が手元から消える」のである。

多分、傘を持って家を出たことを、出先で忘れてしまうせいだ。
雨の日になくてはならないものなのに、財布や携帯のはいった鞄ほど重要ではなく、しかもさしていなければ視界から消えてしまう、そんな奥ゆかしい存在、それが傘…。
しかし自分、「視界にはいらないもの=ないもの」にしてしまう特性のせいで、そんな奥ゆかしい存在をないがしろにしがち。
なので最近はもう諦めて、可愛いと思う傘を買ったりしないし、お気に入りの傘もつくらない。
失くすことを前提で、コンビニのビニール傘を買って使っている。
一見コスパが悪いようだし、実際ビニール傘もしょっちゅう失くしたり忘れたりで買い直すので実際コスパが悪いのであるが、1本1000円も2000円もする傘を失くすよりは損害が少ない。根本的な解決には至らないまでも、「傘を失くすまい」を無駄にあがいては失くしていた頃と比べたら心は穏やかだし、お金と物を無駄にする機会を削減できた、と思う。いや、ビニール傘もなくすなよ、という話ではありますが。

これも、ちょっとありえないレベルでの物忘れ特性のある、発達障碍者のライフハックの1つだ。

しかし、しかしである。

本当は私は、お気に入りの傘を手元において、ながい間大事に使うということをやってみたい。
自分はものに執着しがちで、気に入ったもので周囲を固めて安心したい気持ちが強いので、とみにそう思う。

本当は、海月を模した傘や、青い水玉に薔薇を散らした可愛い傘や、柄のところが木製で骨の多い丈夫なコウモリ傘をさして、雨の日を颯爽と過ごしたいのだ。
でも多分、私はそれらを失くしてしまう。
「本当に大事に思っているならなくさない」そんな風に思っている時期が私にもありました。
失くしものが多すぎる自分は、物を大切にできない、大切に思えない人間なんじゃないかとずっと悩んでいたし、自己嫌悪もあった。が、大事に思っていても、なんなら高価なものでも、失くしやすい条件や環境にハマると私は失くしてしまう。根性論や精神論でどうにかなるものじゃない。
だから、そういう特性とうまくやっていったり、困ってしまう特性がでずらい環境を自分で選んでいく必要がある。

傘にとっても自分にとっても、それが一番いい。可愛かったり素敵だったりする傘と自分との距離感は、憧れのままのほうがお互いを傷つけなくてすむ。

だけど、諦めきれない気持ちが心のどこかにまだあって、街中で素敵な傘をさしている人を見かけると「いいな」と思う。
あの人は、なくしてしまう心配なんてなしに、自分の気に入った傘を持てるんだろうか。
ハッと気が付くと、大事にしていたモノが手元から消えている、という経験を何度もして、大事なモノを持つことを諦めたりすることはないんだろうか。

私は自分のお気に入りの、柄が木製だったりする、風で簡単に裏返ったりしない傘を持って、大事に長く使いたい。
その憧れも、それが叶わないことも、小さな小さなことだ。
そういう小さな小さなことが、私の日常にはたくさん散らばっている。

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