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2020年、退学式。

少し以前の話になりますが、ちょうど桜の咲き始めか爛漫かという季節に、「退学式」に参列してきました。

「退学式」というと、卒業式とか成人式と違って馴染みのない名詞だと思います。
この「退学式」とは、大学や高校を退学した元生徒達が、自らの門出を祝うために企画した式典で、演劇を通じて知り合った3人の元・高校生達が主宰兼主役の式です。

私が脚本を書いた舞台に立ってくれたり、手伝いをした舞台に立っていた高校生達。
企画の中心で答辞を読むのは、フィクションでない高校4年生だった彼女。
彼らの門出を祝うために、私も来賓として退学式に参列してまいりました。

退学って祝うことなのか? と思われる方もいらっしゃるでしょう。一般的にはマイナスなイメージが強いかもしれません。
ですが私は、高校演劇を通じて知り合った彼らが、私と知り合うずっと前から選択の余地のない色んなことと戦ってきたことを知っています。
皆が自分の人生に関わることを、自分で考えて選んで決められたこと、さらに退学式という面白すぎるイベントに昇華して私を誘ってくれたことが、私はとても嬉しかったし、心から祝福したいと思いました。

某地域会館の1室を借りて行われた退学式には色んな方が参加されていて、なかには退学する生徒の担任の先生や、以前お世話になったという教職の方々も。主役の退学生の友人や演劇でつながった人々もいて、なかなか賑やかです。

ちなみにドレスコードは「自分のテンションがあがる服」ということで、私は結婚式用のドレスに、買ってから一度もかぶる機会のなかった、黒くてつばの大きい麦わら帽子をあわせました。気分は往年の大女優風な出で立ちでしたが、後で鏡をみたら、張り切りすぎて怪しくなった生徒の母親みたいでした…。

退学式にはちゃんと式典用のパンフレットも用意されていて、参加者に配られるという徹底っぷり。
式典を企画した退学生いわく、「私、卒業式って小学校のくらいしかまともにでてないんです。だから式典ってどういう風にするのか全然わからなくて、めっちゃ調べました!」とのことでしたが、なかなかどうして、開式の言葉から、退学証書授与、来賓の祝辞に祝電、送辞に答辞、退学の歌斉唱まで、すごくしっかり作りこまれていました。

ですが、そこは洒落のきいた式典なので、開会の前に「この退学式では、式の最中の拍手、掛け声、野次などは自由です。あかん進行とかにはガンガン野次ってください」というアナウンスが。
退学証書の授与式では、証書の授与をする人が挙手制という趣向があり、退学生と所縁のある人がそれぞれ前にでて、3人それぞれ文面の違う卒業証書を渡していきます。

今回、3人への退学証書の文面をオノマリコさんと一緒に考えさせてもらったのですが、実際にそれが読み上げられて退学生に渡される場面では、彼らの父兄でもなければ親戚でもない私の涙腺がヤバいことに。
「いや、お前はどんな立場やねん」と自分で自分にツッコミをいれて持ち直しました。

その後に続く来賓の祝辞も、前例のない退学式に招かれて参列するくらいなので、先生方やゲストもそれぞれに尖りまくり。

「色々あるけど生きてればいいですね」
「僕は教職について数十年ですが、未だに学校と仲良くなれないので退学生になりたい」
「ていうか今日の式で祝辞を言わなきゃいけないのを知りませんでした。さっきもラインしたのに、なんでその時言わないの?」
「皆さまこんにちは、受け持ちの生徒の退学式に出席する担任です。」
「私は二十歳の時に言えなかったことを、三十歳で言えるようになった。これからもっと言えることが増えていくと思うと楽しみだ。皆が四十歳になった時に、楽しんでるかどうかを私に教えに来て欲しい」

等々、全員がそれぞれに素晴らしくて、全員分のを書き残したいくらいでした。

席順の関係ではからずも祝辞のトリが私だったのですが、私も祝辞がある、という話を会場についてから知ったという…。
焦りましたが、たまたま退学生の皆様にあとで渡そうと思って手紙を書いていたので、それを祝辞として読ませてもらいました。
自分、マジグッジョブ。

で、この祝辞を読む間に、再び涙腺がやばいことに。
私は退学生達の母親でもなければ親族でもなく、演劇を通じて知り合った人というだけなのに、熱く胸にこみあげてくるものが確かにあって、自分が高校生だった時、あるいは20歳前後だった時、こんな風に人と関わる未来があることなんて想像もしていなかったこととか、これは自分勝手な感傷で感動かもしれないと思いつつ、まいた種が発芽して茎をのばし、花を咲かせるプロセスを見ることに理屈のない喜びを感じるように、今日の式を自分たちで企画して、これだけの人を招いて、力も借りて実現した退学生達が前に立っていることにどうしても心が動いてしまって、自分の卒業式や成人式でも、泣きたい気持ちになんか一度もならなかった私にしては、大変大変珍しいことに、泣きそうでした。
羞恥心が勝って泣きませんでしたが、泣いてもよかったかもしれないな、と今になって思います。

ちなみに、祝辞を述べた後に礼をしたら、広すぎる帽子のつばがマイクにぶち当たるというコントみたいなことが起きて、別の意味で泣きそうになりました…。

その後、退学生の後輩からの送辞と、3人の退学生からの答辞があり、式典の形式にはのっとっていなくても、美辞麗句がなくても、それぞれの真実のある言葉で書かれているものですごくよかったです。

退学生の一人の答辞内容が以下のリンクから読めます。すごくよい内容なので読んでみてください。
https://momonnu.hateblo.jp/entry/2020/03/20/182520?fbclid=IwAR09RBOIAtsxi0iXzqQ-nTRt02m-aeStFWqUg4XtZu6k8JN26AliZ_UToas



退学式の後は、桜の下で皆と写真を撮らせてもらったり、スタジオについていったら綺麗なカメラで素敵な家族写真(偽)を撮影してもらったり、私にとっても忘れ難い退学式になりました。





退学生の皆様、本当におめでとうございます。
皆様がどこにいて何をしていても、幸せをお祈りしています。

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2020-03-29 : 日々 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

飯館村で田植え2019。

去年に続いて、今年も行ってまいりました。福島県の飯館村の田植え。

今回は村にできたこちらの施設にお世話になりつつ、飯館村巡りと田植えに参加します。



鮮やかな緑溢れる飯館村。




お天気も良くて、空気も良くて、本当に綺麗なのですが、この村に住んでいた人々や環境が事故の前に戻るのは、まだまだ長くて根気のいる道のりがあるのを感じました。

田畑や民家のあるエリアは除染され、避難区域の指定も解除されて、少しずつ住民の方も帰還している飯館村。それでも人口は事故前の3分の1にも満たないそうですが、そのぶん村に戻り、村の生命をつなごうとする人達はアツイです。

困難な道の途上で前向きに復興に取り組んでいる人々が、この土地に人の繋がりや希望を繋いでいると思います。

1年ぶりの田植えは、地元の方の手際には叶いませんが、去年より多く、落ち着いて体験が出来たと思います。泥の中は温かくて、でも奥にいくと清水のように冷たく、手足に馴染んですごく気持ちが良かったです。

地元の人に「土はいいもんだよ!都会にいると忘れるだろう!」と言われましたが、本当にその通りだなと思いました。



田んぼと!



茶色い靴下? いいえ、泥です。





余談ですが、飯館村で1夜を明かし、念願だった星空を見た夜に、UFOもみました。夜空に変な飛び方の光があって、ためしに手を振ってみたらピタリと止まって、しばしの間目に見えるところにいてくれて、テンション爆上がりでした。
宇宙人とか、いるもいないもわかりませんが、もしもいるなら、宇宙から地球を見ている目があるということになります。
宇宙から遠目に見たら、地球なんて青くて綺麗に丸いだけで、違いもなく、汚れもなく、悪くもなく見えると思います。
そんな風に私たちを見てくれる視線があったらいいなと思います。
2019-05-31 : 日々 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

友達の結婚式。

先日、10年来の友達の結婚式に行ってまいりました。
緑あふれる会場でお天気にも恵まれた午後。嬉しそうに並んで立つ2人がとても素敵でした。

演劇で知り合い、互いに色んな時期を乗り越えて、彼女がとてもよいご縁に恵まれたことを友達としてとても嬉しく思うし、彼女自身の真っすぐさや人付き合いへの真摯さ、愛情深さあってこそだなあと思って、ドレス姿の彼女が眩しかったです。


披露宴、新郎新婦のゲストへの心遣いや工夫がたくさんあって、参加者も皆和やかにしていて、とてもハッピーなお式だったので涙は似合わないかなと思って我慢しましたが、最後はグッときました。8年くらい前から彼女の結婚式では泣く宣言をしていましたが、本当に泣ける日がきて私もハッピーです。

2人の幸せを願ってバルーンを飛ばすセレモニーでは、私の風船があわや受付の屋根に引っかかりそうになったのですが、ジャンプしてつかみなおし、無事に大空へと羽ばたかせたので、これで二人の末永い幸せは安泰だと思います。

本当におめでとう!
ハッピーエヴァーアフター!








2019-05-20 : 日々 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

平成最後と令和の最初。

皆様こんにちは。モスクワカヌです。今更ですが、元号が変わりましたね。
私は平成最後の日も令和最初の日も祖母の家で過ごしたのですが、特に変わったことをするでもなく、いつもどおりの日々を過ごしました。
あ、平成最後の日にはメロンのショートケーキを、令和最初の日はモンブランを食べました。
目出たいことにかこつけて罪悪感なくスイーツを食べようという算段です。

91歳になる祖母は、今も頭や口はほぼ達者なのですが、さすがに以前のようには動けません。
主に母が介護をして、私や妹もちょいちょいと帰っては家の用事をすませたり、マッサージをしたりしています。

私の祖母は、私が髪を伸ばせば「人魚みたい」と誉めそやし、手紙を書けば「文章に才能がある」といい、顔を見せるだけで「なんていい子なんだ!」と感激し、昔から私の存在を全肯定し、なにかにつけて私の株を爆上げしてくれていました。
反対されたのは演劇だけです。(ワカヌちゃんが不良になってしまう!と心配された)

反抗期などは、似合わない洋服をプレゼントされたり、美辞麗句で褒められるのがうざったく恥ずかしく思えた時期もあったのですが、祖母や祖父が、長いお休みのたびに帰省する私のことを手放しで歓迎し、私を可愛く思っていることを伝えてくれていたから、私は今も生きているなあと思います。
たとえ1年の間に2週間くらいしかいられなくても、子供の頃からずっと、祖父母の家は私の平和な居場所でした。親が自分を愛しているかどうかはわからなかったけれど、祖父母が自分を愛してくれていることは信じられた。祖父母が私の心に「存在肯定ポイント」をひたすら貯めてくれてなかったら、私はとっくの昔に空っぽになってしまっていたかもしれないです。空っぽになって、穴のあいた空気人形みたいに一人でぺしゃんとつぶれるか、他の人間も自分と同じように空っぽだと思って穴をあけてまわるかしていたと思います。

祖父が亡くなり、祖母には100歳まで長生きしてほしいけれど、あんまり苦しいようなら、辛いようなら、無理はさせたくないとも思いながら、なるべく会いに行くようにしているのですが、その祖母と平成最後の日と令和最初の日を一緒に過ごしました。

祖母の家の大きなテレビをつけると、元号が変わるニュースばかりで盛り上がってる感をだしていましたが、個人的にはごく普通の1日で、特に大きな感激も感慨もなく過ごしました。

だけど、何十年後か何百年後かの歴史の教科書には、今日この日のことが書かれるんだろうなと思うと、なんだか不思議な気がします。その教科書の、1ページだか2ページだがわかりませんが、「2019年5月1日、元号が平成から令和に変更」という歴史を伝えるページには、その時ここにいて元号が変わる瞬間をみていた私はいないわけです。祖母もいません。絵を描くのが好きで、だけど進学のタイミングがちょうど戦争中だったために「今自分がこの国のために出来ることをしよう」と日記に書いて美術学校ではなく予科練に入った祖父も、亡くなってからもう七回忌になります。

歴史と関わりなくは過ごせないのに、ほとんどの人はその歴史のなかでは目にも見えない小さな点くらいでしかなくて、平成が令和になるという1日も、あっという間に額縁のなかの「歴史的事実」になって、その瞬間を生きて跨いだ人たちは誰も残らないんだなあ、と、当たり前のことを考えました。

同じ一日を過ごしても、歴史に残ることと、個人史に残ることは別で、私にとっては元号が変わったことよりも、平成最後の日と令和の最初の日に祖母と一緒に過ごしたことが、大きなトピックです。たとえ歴史とは何の関りがなくても。
だからなんだ、と言われれば「なんでもない」としか言いようがないのですが、最近の私はよく、歴史に残らない人間のことを考えています。
死んでしまったら、名前も顔も誰にもわからなくなってしまう人たちのことを探しにいくように何かを書きたいなと思っています。

2019-05-14 : 日々 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

へアドネーションしました。

3月の話ですが、ヘアドネーションをしました。
ヘアドネーションとは、髪の寄付のこと。

寄付された髪は、治療の過程で頭髪に悩みを抱える子供のために、無料で配布されるウィッグに使用されます。
(私の寄付先の場合です)

2年ほど前からほぼ伸ばしっぱなしだった髪。去年の暮れ頃に
「さすがに長すぎでわ?」と気づいたのですが、ここまで伸ばした髪、ただ切るだけではもったいない。私の貧乏性が顔をだして、どうしようかなと考えていたのですが、SNSで知人がやっているのを見たドネーションをしよう!と思い立ったのでした。

寄付するには、寄付部分の髪の長さが31センチ以上なくてはならないので、そこからもう少し伸ばして、3月に晴れてドネーションすることに。



よく行く美容室を予約する時に、「ドネーション用のヘアカットお願いします」と言って、ドネーション出来るように髪を切ってもらいます。



送る途中で髪がバラバラにならないように、細かくわけて縛り、切っていくようです。



刈られた毛束。くっついてる間はそんなに気にしてませんでしたが、自分から切り離されたものを見ると、あらためて長い!

手順としては、美容室でドネーション用に切ってもらった髪を、寄付先に郵送するだけなので大変シンプル。

長さ31センチ以上の髪があれば誰にでも出来そうです。
もっとも、美容室から郵便局までの道すがら、刈られた毛束をビニール袋にいれて、ワッシャワッシャと持ち歩いたのは「今職質とかされたらどうしよう…」と少しドキドキしました。

素知らぬ顔で歩いてるけれど、今私のバッグの中には40センチくらいの長さの髪の毛がいっぱいだぜ!みたいな。

幸い、職質に引っかかることもなく(以前駅で人違いで警官に追いかけられて囲まれたことがあるのでマジ怖い)、無事に寄付先へ髪の毛の郵送を終えることが出来ました。

希望者が返信用封筒をいれると、こんなお返しのカードももらえます。



とにかく髪さえ切ってもらえれば手軽なので、長い髪を「そろそろ切るかな」ってお考えの方、こんなやり方もご検討頂けたらなとオススメいたします!

ヘアドネーションのやり方や寄付先などの詳細はこちらから
https://www.jhdac.org/hair.html(JHD&C)
※寄付された髪だけで作ったメディカル・ウィッグを頭髪に悩みを抱える18歳以下の子どもたちに完全無償提供している日本で唯一のNPO法人
2019-04-06 : 日々 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

ものを書く縮小 劇作家のモスクワカヌです。
短編・音楽劇・ラジオドラマ・Webコラム等を書いております。 ペンネームの由来は、以前住んでいた某首都+本名。
演劇ユニット「遊戯ヱペチカトランデ」の主宰もしてますが。団体は現在お休み中です。
HP:「遊戯ヱペチカトランデ」
BLOG:「дача берёза ダーチャ・ベリョースカ」
劇団劇作家所属。劇作家女子会。メンバー
お問い合わせはyugi.mw☆gmail.com(☆を@に変えてください)にお願いします。

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前回の公演

遊戯ヱペチカトランデ
第弍回公演

MGトリコロール縮小
Musical
Mademoiselle Guillotine
~マドモアゼル・ギロティーヌ~

strong>2013/9/5(木)~9/9(月)@日暮里d-倉庫
詳細はこちらから。

過去の公演

公演は無事終了しました。ご来場ありがとうございました。

☆作家/演出として参加。

劇作家女子会×時間堂presents
劇作家女子会!
期間:2013年6月13日(木)~16日(日)
※演劇公演です。
会場:王子小劇場
女子会縮小版 劇作家女子会!HP
劇作家女子会!BLOG
遊戯ヱペチカトランデ公演
「The Giris next Door」
~おんなの子、
藪をつつけば、蛇がでる。~


2011年12/8(木)~12/12(月)
公演の詳細はこちらから。

趣向ワカヌ公演
縲発表表縮小版

「発表~いま、ここ。~」
まだ、ゆれてる。

作/演出
オノマリコ モスクワカヌ
演目/出演
リーディング『いま、ここ』
公演の詳細はこちらから。

蜻蛉玉チラシ完成縮小
「蜻蛉玉遊戯」
2010年9/1(水)~9/5(日)
公演情報はこちらから。

☆演出助手として参加。

2013年3月23日~27日
@座・高円寺
世の中と演劇するオフィスプロジェクトM
「ハルメリ2013」
台本:黒川 陽子
演出:丸尾 聡

2011年8月27日~28日
@スペース・ゼロ
非戦を選ぶ演劇人の会
「核・ヒバク・人間」
構成台本:非戦を選ぶ演劇人の会
演出:鵜山 仁

2011年3月9日~15日
@中野テアトルBONBON
オフィスプロジェクトM
「死刑執行人~山田浅右衛門とサンソン~」
作演出:丸尾 聡

2010年12月
北京蝶々「あなたの部品 リライト」
作:大塩 哲史
演出:黒澤 世莉(時間堂)
詳細はこちらから。

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