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返事と挨拶ができない人のことを考える。

初めてツイートがバズった。



なんかやたら通知がくるので、珍しく数十RTとかいいねされてるのかと思って自分の呟きを遡ったら、その時点で数千を超えてて、現在1万RTまでされている。

ツイートがバズると、なんとなくイメージ的にアカウントが「ドンドンパフパフ~おめでとうございます」的な、やったことないけどパチンコの確変でたみたいなテンションの高い感じになるのかと思っていたのだが、特にそんなことはなく、今はだいぶ落ち着いたけど、私のアカウントには「〇〇さんの他14人がRTしました」的な通知が淡々と届くだけであった。

拡散がひろがるにつれて、私のツイートに共感や意見などのコメントが引用リプなどでつけられることも増えた。
もともと無精者だし、リプ通知の取りこぼしもあるみたいなので個別には全然返事をしていないのだが、読んで考えさせられることもあり、「あ、そこ私の意図と違うな~まあ受け取りからはそれぞれだしな~」とか、「これが…クソリプというものか…」と遠い目になることもある。

自分にとっては軽い日常の延長線上にある呟きだったので、世の中に特別にモノ申したかったわけでもなし、自分の意図をいっぺんの曇りも誤解もなくわかってほしいとか、補足説明をしようという気持ちもないのだけれど、バズったことをきっかけに、呟いた時よりももう少し色々と考えた、自分のための備忘録としてブログを書くことにした。

まず、「返事や挨拶は人として最低限の礼儀」はよく言われるけど、それについては私も「そうだよね」と思う。
誰だって無視されるのは気持ちいいことじゃないし、人と関わりながら生きる必要がある世の中では、返事や挨拶が出来た方がスムーズに生きやすいのは間違いない。返事や挨拶をするのは人として普通のことだというのが、まあ世間の常識だろう。

ただ世の中には、相手に失礼なことをしたくないのに返事や挨拶が普通にできなくて「失礼な人」になってしまう人がいる。
もう少し正確にいえば、心身の問題でできない状況の人がいる、と思う。

あ、相手を傷つける目的で返事や挨拶をしない、あからさまな無礼者などについては除外します。
心身の健康の低下で人として最低限のコミュニケーションができなくなってる人の話です。

自分自身にも覚えがあることだけど、疲れたり弱ったり、自尊心を奪われている状態の人は、他人へのほんのちょっとした働きかけも怖くてできないことがある。
わかりやすいところでは、いじめとか、虐待とか、ブラック企業でのパワハラとか。色んなシチュエーションで「お前は価値のないダメなやつだ」というメッセージをうけつづけると、人の心は他人へ触れることを怖がり、こんな自分が人並みに他人と接するのはいけないことだと思うようになってしまう。

「こんな私がおはようございます、なんて普通に相手に話しかけていいのか」
「こんな自分に反応されたら相手は嫌がるのではないだろうか」
「私なんかが視界にはいってごめんなさい」

これは全部、メンタルが絶不調だったり自尊心が低下している時期に自分が感じたことだ。
この状態が続いてレベルがあがってしまうと、「こんな私が人並みに挨拶や返事なんてしないことが相手を不快にさせない礼儀」のような、謎のルールが自分の中でできあがってしまう。
心身が健康を損うと、判断力の低下や認知の歪みがおきる。結果、相手に不快に思われたくない、失礼をしたくない、という気持ちが「返事や挨拶は人として最低限の礼儀」という常識と真逆の行動をとらせてしまい、人としてますます嫌われたり孤立するという負のループにハマってしまうのだ。

ちなみにわりとメンタル強者かつ意識高い系の私の同居人は、上に書いたような気持ちは全然まったく理解できないらしい。
コミュニケーションの明朗会計を是とし、些細なことでも「私ってやっぱ素晴らしい」「ワカヌちゃん天才」という誉め言葉を自分にも他人にも惜しまない同居人は、この「自分に自信がない=自尊心が低い=返事や挨拶という相手とフラットな立場で交わすコミュニケーションを相手に失礼と思ってしまう」という心理の方程式がこの世に存在することが目からウロコだったらしい。

「自分には意味がわからないけどそんなことがあるのねていうか、世の中私みたいに、そういうこと知らない人が多いと思うから呟いといて

というこの同居人の一言が、例のツイートをしたきっかけである。

結果、同居人と同じく目からウロコの人からも、共感し今もその状態に苦しんでいる人からも、たくさんの反応を頂く結果になった。

で、そのなかでちょっと気になったのは、私のツイートに対して「返事や挨拶ができない失礼な人間が、返事も挨拶もきちんと出来る普通の礼儀正しい人間である私に配慮をもとめるな」的な反応が散見されたことである、
ざっくりいえば「人並みのことができない奴が言い訳して甘えんじゃねえ」ってことかしら。

えーと、私の件の呟きには「私は返事や挨拶ができないけれど、そんな私に配慮してね」みたいなことはどこにも書かれてないと思うんだけど…。

あとなんていうか個人の感想だけど、そういう反応をする人は、相手に配慮するということを自分が損をするとイコールだと思ってるように感じたのね。
相手を失礼だと思う自分の自由が減る、弱っている相手のことを考えるという手間や面倒をなぜおしつけられるのか、みたいな。

でも、それは違うんでないかい、ということは言いたい。

ある状況について知識があること、想像力をめぐらすことは、自分がそれにどう反応するかの選択肢が増えることになるので、実はこちらの自由度はあがる。

たとえば返事や挨拶をしてくれない相手を前にした時、「返事や挨拶は人として最低限の礼儀」「返事や挨拶は友好の証」という常識しか頭になかったら、

相手が返事や挨拶をしてくれない
→なんて失礼な人なんだろう(怒り
→なんでだろう? もしかして嫌われてるのかな?(不安

と、反応がだいたいこの2種類にわかれると思う。
でも「自分に自信がなかったり、弱っている人は返事や挨拶ができない」という知識も一緒に頭にあったら

相手が返事や挨拶をしてくれない
→なんて失礼な人なんだろう(怒り
→なんでだろう? もしかして嫌われてるのかな?(不安
→もしかして今弱ってたり疲れてたりするのかな? そっとしとこう(静観)new!
→返事や挨拶もできないくらいの事情があるのかな? 大丈夫かな?(心配)
new!
→返事や挨拶してくれなかったけど、相手に事情がある場合もあるから嫌われてるとは限らないよね(冷静)new!

と、「返事や挨拶をしない相手」に関する知識が1つ増えるだけで、「どう反応するか」の選択肢も色々と増えるわけで、不安やストレスが減ったり、打開策を考えたりすることも出来る。

そのうえで「相手にも事情があるかもだけど私はやっぱり挨拶もしない人は失礼だと思う」と反応するのも、「返事も挨拶もしてくれなくて気になるけど、そこまで親しい相手じゃないからスルーしとこう」と反応するのも、「返事や挨拶もできないくらい弱ってるの心配だな。様子を気にしておこう」と反応するのも全部ありで自由だ。

返事や挨拶もできないくらい弱っている人がいるのを知ることと、いつでも特別にそういう人に配慮しなくてはならない、ということは別で、人にはそういうこともあるよ、というのを知らされただけで「それは挨拶や返事をしない人に私が配慮しなくちゃいけないということですか!?」と目くじらをたてる必要はないんじゃないかな。

ただ、返事や挨拶もまともにできないくらい心身が弱っている人に「それでも返事と挨拶は人として最低限の礼儀です。どんな事情であれそれができないあなたは失礼な人です」というのは、シンプルに思いやりのないことだよなあと思う。

人間、調子がいいときもあれば悪い時もあり、皆平等に年をとってボケたり体にガタがくる以上、心身ともに永遠に強く正しくいられることなんてないんだから、「強くて正しくて健康なわたし」が今弱っている人にむける態度や言葉は、いつか弱くなる自分にかけている呪いにもなるのではないか。

私は心身ともにそんなに強くないので、せめて他人や自分を呪わないようにしようと思う。

他人とフラットなコミュニケーションが出来ないくらい弱っている状態を気のもちようでどうにかするのは難しい。人並みのことができない自分というのは本人的にもすごく辛くて苦しいのを私は知っている。
そして人並みじゃない自分を責めて、ますます他人に申し訳なく人から遠ざかり、孤立し孤独に…以下負の無限ループだ。

かつての自分と同じように、今返事や挨拶ができなくて苦しいという人には、信頼できる人やメンタルクリニックを頼ったり、自尊心を奪われる環境を変えたり、少しずつでも心身の健康を取り戻していって負の無限ループから脱出してほしいし、返事や挨拶ができなくなる人の気持ちなんて全然わからないという人には、うちの同居人みたいに、「自分には意味がわからないけどそんなこともあるのね」くらいに思ってもらえればいい。

頭の片隅に「人は人として最低限のことすらできなくなるほど弱ってしまうこともある」という知識があることは、悪くないと思うのである。


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2018-01-27 : 日々 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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プロフィール

ものを書く縮小 劇作家のモスクワカヌです。
短編・音楽劇・ラジオドラマ・Webコラム等を書いております。 ペンネームの由来は、以前住んでいた某首都+本名。
演劇ユニット「遊戯ヱペチカトランデ」の主宰もしてますが。団体は現在お休み中です。
HP:「遊戯ヱペチカトランデ」
BLOG:「дача берёза ダーチャ・ベリョースカ」
劇団劇作家所属。劇作家女子会。メンバー
お問い合わせはyugi.mw☆gmail.com(☆を@に変えてください)にお願いします。

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遊戯ヱペチカトランデ
第弍回公演

MGトリコロール縮小
Musical
Mademoiselle Guillotine
~マドモアゼル・ギロティーヌ~

strong>2013/9/5(木)~9/9(月)@日暮里d-倉庫
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過去の公演

公演は無事終了しました。ご来場ありがとうございました。

☆作家/演出として参加。

劇作家女子会×時間堂presents
劇作家女子会!
期間:2013年6月13日(木)~16日(日)
※演劇公演です。
会場:王子小劇場
女子会縮小版 劇作家女子会!HP
劇作家女子会!BLOG
遊戯ヱペチカトランデ公演
「The Giris next Door」
~おんなの子、
藪をつつけば、蛇がでる。~


2011年12/8(木)~12/12(月)
公演の詳細はこちらから。

趣向ワカヌ公演
縲発表表縮小版

「発表~いま、ここ。~」
まだ、ゆれてる。

作/演出
オノマリコ モスクワカヌ
演目/出演
リーディング『いま、ここ』
公演の詳細はこちらから。

蜻蛉玉チラシ完成縮小
「蜻蛉玉遊戯」
2010年9/1(水)~9/5(日)
公演情報はこちらから。

☆演出助手として参加。

2013年3月23日~27日
@座・高円寺
世の中と演劇するオフィスプロジェクトM
「ハルメリ2013」
台本:黒川 陽子
演出:丸尾 聡

2011年8月27日~28日
@スペース・ゼロ
非戦を選ぶ演劇人の会
「核・ヒバク・人間」
構成台本:非戦を選ぶ演劇人の会
演出:鵜山 仁

2011年3月9日~15日
@中野テアトルBONBON
オフィスプロジェクトM
「死刑執行人~山田浅右衛門とサンソン~」
作演出:丸尾 聡

2010年12月
北京蝶々「あなたの部品 リライト」
作:大塩 哲史
演出:黒澤 世莉(時間堂)
詳細はこちらから。

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